私の 最初の PC | 2011-3-8 |
最新の Note-PC や iPad に 触っていると、32年 前 私が PC ( 当時は My-Cmptr でなくて Micro-Cmptr
でした ! ) に 取組んだ 頃 からすると 隔世の 感が します。 その PC を 引出すと、殆ど 忘れていた 細かなこと が 少しずつ 思いだされ、しんみり してしまいます。 頭の中の 記憶でなくて 目に見える 形に しようと 写真 を 撮りました。 そして その 思い出 を 記しておきます。 |
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Micro-Cmptr の 勉強 は 石田晴久さんの i8008 の 本で 始めました。 まもなく NEC から TK-80 が
発売され、アスキー 第2号 の 表紙 には intel の 8080 評価 Bd の 写真が 掲載されます。 当時は i8080 と M6800 の 得失 が 議論され、好みは 人により 分かれていました。 そして アスキー 第5号 表紙 の i8085 の 評価 Bd の 写真掲載 と なるのです。 これにしよう と 代理店の 菱洋電気に 電話するのですが、輸入は 5ヶ月 以上 先 とのこと、それでは Bd でないもの を 自分で 作ってしまおう と 考えたのです。 1977 年 の ことです。 Data-Book を 手にいれて、i8085 用 の Monitor ( その頃 は CP/M も 無かった ) 書き、Key-Sw、Socket など を 集めました。 個人ベース ですから いわゆる Hand-Assemble です。 2 KByte の EPROM i8755 は 最初 75,000 円、西独 にいた 弟に 問合わせても 54,000 円、半年 経って 購入できた 時 は 30,000 円 余 でした。 築地の 菱洋電気で Monitor を 書込んで もらうのに intel-Format の 穿穴テープ を 用意しなければ なりません。 会社 ( 横河電機 ) の 他部 で PDP-8 用 に あった TeleType 社 端末 を 昼休みに 何日か 使わせて もらいました。 会社の 同僚 と 菱洋電気の 担当者の 好意に 感謝しています。 RAM with IO-Port では 仕様変更 が ありました。 /CE ( Chip Enable Bar ) の 所 を ある日 雑誌で見かけて 菱洋さんに 電話したら、初期仕様のもの を i8155 でなくて 新たに i8156 として 発売する とのこと。 Sample 品 が 5個 届いている という 話で、頼みこんで それを 1個 分けてもらいました。 懸命に 取組んだ My-Cmptr でしたが 最終的に 動いていません。 出力 として dSub-50Pin で 7 Seg-LED を 動かす つもりが、仕事 が GE 社 の CT-8800 の 設置作業 となり 忙しく なったのです。 CT System は Data General の Mini-Cmptr を 使っており、OS は MRDOS ( Multi-Task Real-Time Disk-OS ) です。 価格 は Cmptr だけで 4 千万円 位 と 言えば お分かりいただける でしょうか。 3年位 経って 初代 IBM-PC が 発売された 頃、やはり 自分の PC が 欲しい と 動きました。 米 BYTE 誌 で i8088 基板 を 知ったのです。 Micro Mint 社 の 社長宛 に 手紙を 書いて 基板 MPX-16 を 入手しました。 BIOS が CP/M-86 用 だった ことも 気に 入りました。 Print 基板 だけで 45,000 円 ( 330 $ ) でしたが、IBM-PC は 1,030,000 円 以上 と 高価でしたから。 もちろん 現在のような HD-Drive は 無くて、東芝の 5" 320 KByte FD-Drive を 購入しました。 その後 20 数年、自宅で 使ってきた PC は 24 台 に なります。 今は もう PC は 手作りでなくて Unit を 組合わせる 時代 に なったようです。 |
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会社 で 最初 の PC
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