市町村合併の先に何があるのか 2002.10.17 浅江季光
●市町村合併の終点は「町おこし」
合併の先に何があるのか見えない。
全国市町村で行政評価に取り組んでいるが、何のめに行政評価をするのかという疑問を常に持っていた。
その手掛かりを掴むために10/10-12の3日間、一つの地域に隣接する長野市松代町、須坂市、小布施町をつぶさに見て廻った。
松代町は真田十万石の城下町で観光資源を持ちながら長野市と合併して地盤沈下した町。
小布施町は北斎記念館と栗で売り出し、年間80万人の観光客を呼び込んでいる町。
須坂市はその両町に挟まれ富士通の城下町と言われたが、富士通が撤退した市である。
今回は長野市企画課、須坂市企画課、小布施町企画課の行政の方々と松代町商工会議所の方々にお会いして意見をお聞きした。
私が行政に首を突っ込んだのは、私の故郷(鹿児島県栗野町)の町おこしに関わったときからである。
小布施町は今回で5回目の視察である。
私の田舎町では小布施町を真似てシャトルバスを走らせている。
2年前には新潟県黒川村の町営のホテルに泊り、ビール工場なども見学した。
多くの方々の意見を聞き、現地を視察しての結論は、市町村合併の終点は「町おこし」にある、ということ!
「町づくり」という言葉がよく使われるが、作るより、より積極的に興す必要がある。
市町村合併は民間の企業経営と全く同じである。
結論は単純で当たり前のことであるが、他人を頼らず自己主張して生き抜く覚悟と努力があるかどうかである。
●財政的なことは目先の問題
小泉内閣は市町村合併に躍起になっている。
行政の効率化という意味では方向は間違っていない。
私の田舎町も住民の70%が合併賛成である。
賛成が多いのはそれなりの背景と努力がある。
だがその先に何があるのか、自分達は何をすべきか未だに掴みかねている。
政府は全国3,218市町村を約1,000に集約する目標である。 現在、合併に向けての法定協議会121団体、483自治体の参加にとどまっている。 枠組み通りに合併しても360程度しか減らないといわれている。
政府は合併に飴とムチを用意している。
飴は、平成17年3月までに合併した市町村に対して10年間地方交付税(合併特例債)や、
合併にともなう各自治体の格差是正を保証することになっているがその財源の保障はない。
基本的には借金である。自治体もよく考えないと借金を増やすことになる。
また中央省庁の支援策をみても従来の補助金行政を並べただけで新味は全くない。
依然として縦割り行政そのものである。
飴につられて、目先の財政危機をしのぐために合併を考えているところもあるようだが、一時的にしのいでも本質的な解決にはならない。
合併によって首長、職員、市町村議員の数を減らすぐらいの効果しかない。
日本の市町村の多くは、車で10分も走れば隣町へ行き着いてしまう。
その狭い地域で各市町村が競って公民館、体育館など箱物を作ってきた。
その維持費だけでも大変である。
少子化で小中学校も統廃合しつつある。
都市部は若者が集まるから将来とも賑わうと思われるが、郡部は箱物はいらなくなる。
民間企業なら不要な土地、工場を売却しリストラを行うが、
市町村の箱物は、郡部では買い取ってくれるほどの元気な企業もない。
また、あったとしても民間企業は工場を建てるなら中国へ投資する。
民間企業も、合併や提携をやるがお互いのメリットがあるから手を結ぶ。
日産自動車はルノーと提携するまでは、財政的に倒産は時間の問題といわれた。
ルノーも世界の自動車業界の中で生き残るには技術力が不足していた。
弱者同志が手を結び、相乗効果を発揮している。
何よりもゴーン氏の強烈なリーダーシップによるところが大きい。
財政的な理由だけで合併すべきでない。
やる気のない貧乏な自治体同志が一緒になっても何のメリットもない。
合併の準備に近隣市町村のデータを調べるのは当然として、データに表れない住民意識や将来ビジョンがあるかどうかを確認すべきである。
近隣市町村は過去のしがらみや対抗意識を引きずっているところが多いように見受ける。双方の長所、欠点を認め合って、どの様な町おこしをするかを合意することが大事である。
●「町おこし」ビジョンのないところは衰退する
政府は合併に消極的な自治体の権限縮小を考えている。
人口1万人以下の自治体の業務を、窓口サービスに限定し、権限や交付税、職員定数の削減などのムチ政策をとろうとしている。
少子高齢化で郡部はますます人口が減少し、合併とは無関係に過疎化が進行する。
行政規模を一定以上に維持し効率化をはかるためには合併は必要な施策である。
しかし、規模を拡大しても発展するという保証はない。
合併する市町村が、それぞれに将来ビジョンをもっているか、やる気があるかにかかっている。
松代町は1966年に昭和の大合併(1万3,000あった市町村を4,000弱にした)で長野市と合併した。
なぜ合併したのか、その経緯と理由を説明できる人は誰もいなかった。漫然と合併したとしか思えない。
なぜ先輩達が合併を決めたのか、合併しなければ別の道もあったという町の声もあった。
道路整備もやっと始まり、当然に信号機があってよいと思われるところに信号機が無かった。
現在、長野市の人口は364,000人、松代町の人口は約20,000人で全体の約5.5%である。
長野市全体からすると、地理的にも片隅の存在に過ぎない。
行政組織として支所が置かれ職員が約14名、スリム化が行われ、観光課、土木課が廃止された。
支所長は以前は部長クラスであったものが課長クラスに代わった。
主な機能は本庁に集約されつつある。
情報化時代の流れとしてはやむを得ないと思われるが、住民の声が反映される仕組みに欠けると思われる。
かろうじて商工会議所がその受け皿になっているようである。
長野市としては、再来年を松代イヤーと位置づけ観光資源の整備に着手している。
だがそれだけにかまけてはおれないというのが本音のようである。
それ以前に住民の意識の問題があると思われる。
小布施町は、市町村合併のアンケート調査を、役場の全職員が1人10軒づつ受け持って、住民と対話しながら調査している。対話の中から町の将来を考え、住民も職員も意識が高まる。
趣味のグループも含めて住民フォーラムが37団体あり、職員もその中に積極的に入り、行政と住民が一体となった町づくりをしている。
人口11万人以下の自治体の業務を窓口サービスだけに限定するムチ政策を実行すると、間違いなく松代化する。地域の発展を考え旗を振る主体が無くなる。
すべてに負んぶに抱っこで住民意識の低いところはそれでもやむを得ない。
合併する、しないにかかわらず行政と住民が一体となって町おこしに取り組まないかぎり発展はない。
●具体的な目標をもつこと
小布施町(約12,000人)は、箱物はほとんどなかった。
町役場が3階建てのビルで、その中に公民館、図書館、保健センターなどすべてのものが集約されていた。
住民のための施設にはあまり金を掛けていない。道路も街並みも昔のままという感じである。
その代り外から観光客を呼び込み、金を落としてもらう仕掛けにはしっかり金を掛けてある。
小布施町の人々が意識しているかどうかは分からないが、企業経営のマーケットインという思想である。
お客様第一で価値を生まないものには金を掛けない。
町おこしの理念や方針が他の市町村と一味違っている。
行政と住民の間で、ビジョンの合意があり、この様な(状態の)町にしようという明確な目標をもって行動しているように見える。
或る人口3万弱の市がある。バブルの時に都市計画の名の下に、道幅を広げ、沿道の住宅商店を建て替えて立派な「町づくり」をしたが、「町おこし」にはなっていない。 外からくる人が増えたわけでもなく、街の中心が郊外に移ってしまった。 町おこしの明確なビジョンも目標もなく補助金を使うことが目的であったと思われる。
本田技研工業は仕事をするときには、上下で「目的」「目標」「目標要件」を確認しベクトル合わせをする。
目的とは存在する理由である。なぜそれをやるのか理由を明らかにする。
目標とは期待する成果、結果である。目的が達成されたときに、どのような状態になるかを明らかにする。
目標要件とは、目標のレベルを明らかにし、そのような状態にするために、どの様に手足を動かすかを考える。
上記の「町づくり」の例は、目的が「町おこし」ではないことだけは確かである。
沿道の住宅商店を建て替えることが目的で、その結果どんな状態になるかを評価していなかったと思われる。
「外から沢山の人がきて町を賑やかにする」という状態を目標にすれば、もっと別の政策があったはずである。
最近は政策目標が話題になるようになった。本田技研工業は、組織は企業目的を達成する目的集団であり、集団は目的を達成すると衰退するか消滅すると定義している。
そのために集団は、常に新しいチャレンジ目標を掲げなければならない。また、孫子の兵法に、集団を動かすには「道」(大義名分)が必要であると説かれている。
行政も目的集団である。
合併は行政と住民が一体となって町おこしをする具体的なビジョン(夢)と具体的な目標を持つ必要がある。
●「改革特区」に期待
日本全体が先の見えない閉塞感に覆われている。2006年から自治体の倒産が続出すると言われている。
政治も経済も構造的に行き詰まり、来るところまで来たという感じである。痛みを伴う構造改革を断行するしかない。
景気対策の名のもとに公共投資、減税を繰り返して問題を先送りしてきた。
存在する価値のない企業は早々に退場してもらう必要がある。倒産、失業も覚悟しなければならない。
行政も職員1人ひとりの存在価値を含めて見直す必要がある。
未だにデフレ対策として公共投資を求める意見があるが、日本の社会、経済の構造を変革しない限りいくら金をつぎ込んでも、一時的な延命策で本質的な解決にはならない。
不良債権がかさむだけである。
小渕内閣のときに、どんと公共投資をしたが、一時的に倒産件数が減っただけ今では完全に元にもどっている。
一企業、個人の努力を超えた時代の構造的変化である。共産主義社会が時代に合わず崩壊したように、日本の構造が時代に合わなくなったということである。
誰も責任をとらず、お手てつないで仲良くやってきた構造を崩壊させるしかない。不良債権の処理は「改革を怠けた10年」の後始末である。
竹中案に反対しているのは銀行と自民党与党だけである。世論の大勢は賛成である。
政権と与党の対立は、まるで従来の長野県県政の縮図をみているようである。いつまでも後始末に関わっていたのでは先が見えない。
不良債権の根本原因は地価が安いことにある、という時代錯誤の論理を持ち出している者がいる。
バブルのときに暴力団を使って銀行やゼネコンが吊り上げた地価が元へ戻っただけである。
もともと土地には価値はない。その土地が、価値を生むかどうかということである。
買いあさった土地が価値を生まず不良債権になっただけある。行政も道路や箱物をつくっているが投資に見合った価値を生まないと不良債権になって住民負担として跳ね返ってくる。
企業が自由闊達に動ける環境をつくることが本質的な構造改革であり景気対策である。
それには規制を撤廃し、企業の研究開発や新規分野への進出に対して思い切った減税や補助金を出すべきである。
それしか日本再生の道はない。
市町村合併も数合わせだけでは生き残れない。それぞれの市町村が積極的に街を興し独自に生き残る環境をつくる必要がある。
小泉内閣は財政資金を使わず民間需要を喚起し、中央省庁と族議員の権益を排除する突破口として「構造改革特区推進法案」を次の臨時国会に提出する。
昨日、東京都庁で模擬カジノが開かれた。「改革特区」へのチャレンジである。
現実は各自治体からの特区提案の1/10程度しか通らず、関係省庁の抵抗で骨抜きにされたようである。先行き不透明であるが小泉さんに頑張ってもらうしかない。
さらに各自治体が自主性を発揮するには、紐付きでない独自の財源を持つ必要がある。
小泉首相は補助金と地方交付税の削減と引替えに税源移譲の「三位一体」を打ち出した。
大都市圏を除き必ずしも郡部にはプラスにならないという意見もあり不透明である。
いずれにしても地方分権は時代の流れであり、各自治体もそれなりの覚悟と体制づくりをしなければならない。
●行政評価が目的になっていないか
全国の自治体で流行のように行政評価に取り組んでいる。
何ために行政評価をやるのか、という疑問に、一番納得できた説明は、所沢市職員の
「悪気が無く方向性を間違ってしまっている真面目な人たちに、あれ?ひょっとしてこっちかなと ふと立ち止まって、自らの行き先を考えいただけるための仕組みとして
行政評価が機能すればいい」というのがあった。
何も考えず予算を消化する行政の仕組みの中で、職員の意識が変われば、これだけでも大変な進歩である。
行政評価は、①担当事業の存在価値を評価し、②職員の意識改革をするための手段である。
もともとそのような状態にあるならば行政評価をする必要はない。
ちなみに小布施町は、バランスシートは作っているが行政評価はやっていない。
行政評価は、上記の目的を達成できれば、身の丈に合った自分流でアバウトでよい。
学問的に論理的に精緻な仕組みをつくっても活用しなければ意味がない。
これから財政がきびしくなり、事業の見直し、切捨てが行われるようになる。
増田岩手県知事が、ある講演会で次のように話されていた。
「過去30年間、族議員が張り付いていて配分率がコンマ以下しか変わっていない。これに手を付けるのが本来の改革である。」
最近は政策と予算配分の見直しが行われつつあるが、その評価の手段として行政評価がますます重要になると思われる。 現在、行政評価が活用されず、評価することが目的になっているところがあるかも知れないが、ムダにはならない。培ったノウハウはどこかで活かされる。
●避けて通れない課題
行政は法律によってプロセスが決まる部分が多いが、地方分権が進めば、自主財源、自己責任で、自由裁量で行う部分が増えると思われる。
法律的なことは私には分からないが、自主独立して真にNPM(新行政経営)を実行しようとすると避けて通れないいくつかの課題がある。
①職員の意識改革を図る
・NPMを行うには最大の難関は意識改革である。
人材的について行けない、枠にはまらない人材の育成が必要である。
・ごく一部の人を除いて危機意識がない。未だに他人事のようである。
・制度的なものと思われるが、自分の守備範囲を守っていればよいという感覚から脱却できない。
視野がせまい。
・経営管理の常識を知らない。
・民間企業の管理者教育と同等の教育を徹底して行う必要がある。
②複式簿記の導入
・B/Sをつくる試みが行われているが、一部の専門家が作ったというだけで活用されていない。
・B/Sにもいろいろな方式があって確定していない。全国で統一された方式が確定するには、
一年に一度の決算で試行錯誤を繰り返しながら10年はかかるだろう。
・現在の単式簿記、現金主義では行政経営の実態が分からない。
減価償却、原価計算を行い、損益を出す仕組みを考える。
・行政は損益を出すのは不可能。損益ではないと考えている人もいる。発想の転換が必要。
・損益が出れば労働生産性、投資効率などが評価できる。
評価が出来れば問題と改革の方向が明らかになる。
・係長以上に経営分析の教育を行い、計数能力を高め、問題を的確に把握し、
改善、改革に取り組むようにする。
③成果主義の導入
・精神論では意識改革は困難である。人間は評価を変えると意識がころっと変わる。
・行政評価は事業の評価で個人評価ではない。
・個人を評価する仕組みとノウハウの確立が必要である。
・右肩上がりで賃金が上がる時代は終わった。努力した者とそうでない者と差をつける時代になる。
・個人一人ひとりを公平 (平等ではない)、公正に評価し、努力に応じた成果を配分する
成果主義の導入をはかる。
市町村合併は日本が抱えているすべての問題が凝縮している。構造改革とは古いものを壊して新しく建て直すことである。 過去にとらわれず、新しい発想で前向きにチャレンジして創りあげて行くしかない。