二十一
道は 天地自然の道なるゆえ、講学の道は 敬天愛人を 目的とし、身を修するに 克己を以って 終始せよ。己れに克つの 極功は 「意なし必なし固なし我なし」(論語)と 云へり。総じて 人は 己れに克つを以って 成り、自ら愛するを以って 敗るゝぞ。能く 古今の 人物を 見よ。 事業を創起する人 其事 大抵 十に七八迄は 能く成し得れ共、残り二つを終る迄 成し得る人の 希れなるは、始は能く 己れを慎み 事をも敬する故、功も立ち 名も顕るなり。功立ち名顕るゝに随ひ、いつしか 自ら愛する心起り、 恐懼戒慎の意 弛み、驕矜の気 漸く長じ、其成し得たる事業を たのみ、 いやしくも我が事を仕遂んとて まづき仕事に陥いり、終に敗るゝものにて、 皆な自ら招く也。故に 己れに克ちて、まず聞かざる所に 戒慎するもの也。 |
二十四
道は 天地自然の物にして、人は 之を行うものなれば、天を敬するを 目的とす。 天は 人も我も同一に 愛し給ふゆえ、我を愛する心を以って 人を愛する也。 |
岩波文庫、西郷南洲遺訓 から 採りました。