筆者はしつこくマイナンバー制度の取材をしている。システム開発に巨額の税金が投入されているからだ。
マイナンバー制度が 納税者の将来負担の軽減や社会の効率化といった成果に結びつかなければ、この記事を読んでいる読者を含め
全納税者にとって、もれなく 巨額の損失になってしまう。
政府が毎年改定している「世界最先端IT国家創造宣言」は、マイナンバー制度で「マイナンバーカードの普及と利活用を推進する」という目標を掲げる。
ただ、そのためには カードの仕様を公開する必要があると 筆者は考える。
後述するように、このままいくとブラウザーの Firefoxでは、マイナポータルを利用できない という事態も予想されている。
マイナポータルは、マイナンバーカードで 誰もが自分の登録情報の確認などができる サイトである。
マイナンバー制度には 3つの異なる仕組みがある。1つは、国内に住む全ての人にマイナンバー(個人番号)を付番すること。
2つめは、マイナンバーで 税や社会保障の間で 情報を連携することだ。
この 2つによって、国や地方自治体は、不正な税逃れや社会保障の不正受給をなくして、税収を上げ、必要な人に 十分な社会保障サービスを
効率よく提供する という成果を出さなければならない。
最後の 3つめは、希望者が マイナンバーカードの内蔵ICチップに搭載した 公的個人認証(JPKI)を、2016年1月から 民間企業に 使えるようにしたことだ。
JPKIでは、マイナンバーそのものは 扱わない。公開鍵暗号方式と呼ばれる仕組みの 電子証明書で、カードを所持している人が 本人であると 認証するものだ。
カードが 普及すれば、企業がインターネットで提供する サービスで、顧客が IDと パスワードの組み合わせに 代わって、JPKIによる 認証で
ログインして サービスを利用できる。つまり、ネットの 安全性が高まるという 成果が期待されている。
総務省の 公表資料によると、2014年度から2016年度まで カード発行などに 計625億円あまりの予算を注ぎ込み、2017年3月末までに 3000万枚を 配る。
現在 カードの申請数は 1000万枚を超えたものの、自治体が利用する カード管理システムの 障害などによって、都市部では 申請から交付までに
半年近くかかり、1日当たりの 申請件数が 鈍化している。
エストニアの普及策と大きな違い
総務省などは カードを 普及させようとしている。しかし、その手法は カード利用の先行事例として 紹介される エストニアとは かなり違う。
エストニアは 国民向けに ICチップを内蔵した IDカード を 発行している。 IDカードの Webサイトでは、Windows向け IDソフトウエアを 提供している。
IDカードの 管理ツールや 電子署名検証ソフト、暗号化複号ソフト、ICカードリーダーの ドライバーまで ある。
Macや Linuxユーザー 向け には ブラウザーに 組み込む コンポーネントを 提供している。
サイトは Internet Explorer(IE)だけでなく、Google Chromeや Firefoxなどの 幅広い ブラウザーに 対応できる 特徴を 強調している。
さらに、居住していない 外国人にも IDカードを 発行している。
外国人向け 電子行政サービス「e-Residency(電子居住)」で、2015年4月から 各国の大使館で カードを 配布している。
IDカードの 公的個人認証 を 使えば、ネットバンキングの利用 や、企業設立も 即日で できる。
デジタル署名で オンライン契約 や、文書の 暗号化や復号も 可能だ。
いずれのサイトにも 開発者向けのメニューがあり、カード内部のスペックを 公開している。
IDカードドライバーは OpenSCと呼ばれる オープンソースの ミドルウエア を 利用している。
米RSAセキュリティが 策定・公表した 公開鍵暗号標準(Public-Key Cryptography Standards、PKCS)のうち、
一般的な暗号化ができる PKCS#11 という規定の API を ブラウザーで利用したり、アプリ開発も できる。
関連ツールの ソースコードは Github に 公開され、開発者が作った アプリを テストできる Webページも ある。
電子署名に詳しい ラング・エッジの 宮地直人氏は「エストニアの IDカードの標準ソフトや ドライバーは、オープンな 開発環境を 提供している」と
指摘する。
エストニアの人口は 130万人ほどで、オープン系の 様々な技術者の 力を借りよう としていることも 理由とみられる。
エストニアの 外国人向けカードを取得した という 宮地氏は「細かい仕様やソースまで全部公開しているので、開発者にとって
これほど 勉強になるものはない」と 語る。
公開鍵暗号方式は、秘密鍵と公開鍵が ペアとなって、片方の鍵で 暗号化されたものは、もう一方の鍵でしか 復号できない。
公開鍵からは ペアとなる 秘密鍵を 作り出せず、秘密鍵は カードの ICチップに格納された 領域から 外に 出せない。
秘密鍵を 無理に読みだそうとすると、ICチップが 壊れる。つまり 仕様を公開しても 問題はない。
公開鍵暗号方式の IDカードの 仕様を公開しているのは エストニアに限らない。
米国の政府機関の 職員らの PIV(Personal Identity Verification)カード では 大量の 技術文書が 公開されている。
米国は「仕様をオープンにすることで、安全な IDカードの 普及を図ろうとしている」(松本泰・セコムIS研究所
コミュニケーションプラットフォームディビジョンディビジョンマネージャ)という。
Firefoxでマイナポータルにログインできない
ところが、日本は こうした情報を ほとんど 公開していない。
地方公共団体情報システム機構(J-LIS)の サイトには、住民基本台帳カードで利用できた JPKIの「利用者クライアントソフト仕様Ver1」という
機能概要説明書や API仕様書 しかなく、いずれも Windows XP 向けの 古いものだ。
公的個人認証サービスの ポータルサイトから ダウンロードできる
「利用者クライアントソフト」には、カードを利用するための PKCS#11 モジュール が 組み込まれている。
しかし、提供されている PKCS#11モジュール の 開発者向け技術仕様 は 公開していない。
しかも 宮地氏によると、現在の 利用者クライアントソフトで 提供されている PKCS#11モジュール には、Firefoxでは
推奨されていない 実装が いくつかある。
やや専門的になるが、多バイトのデータの 格納方法が 通常とは 逆で、未サポートの ファンクションを返す 方法も 独自の 仕様がある。
そのため、「Firefoxでは マイナポータルへの ログインが できない」(宮地氏)という。
エストニアの IDカードは 主な OSや ブラウザに 対応しており、ほとんどの 環境で エストニアの ポータルサイトへの ログインが 可能だ。
しかし 日本の マイナンバーカードでは 利用者クライアントソフトに 独自仕様のモジュールを 組み込んで、ユーザーに対して 合わせるよう 求めている。
ユーザーへの 姿勢が まるで 逆 といえる。
もちろん エストニアと日本には、番号の扱い方など 制度の違いは ある。ただ、技術を使ってもらおう とする 姿勢は 学ぶべきではないか。
広く普及する ITは、利用者や サービス提供者だけでなく、開発者も 巻き込んだ「エコシステム」を 構築できるかどうかが 鍵を握る。
JPKI を 広く普及させたいのであれば、エコシステムを 作らなければならないだろう。
技術者をアーリーアダプターに
2016年6月に「マイナンバーカードで SSHする」という ブログが 技術者の間で 話題を呼んだ。
オープンソース・ソリューション・テクノロジの 濱野司氏が、カードの 秘密鍵を 利用できるように OpenSC カードドライバー を 開発して 公開した。
SSH(Secure Shell)は、アマゾンウェブサービス(AWS)など クラウドサービスの ログインに 広く使われている。
ところが、ブログを公開してみると「技術者でも JPKIを 知らない方が 多いことに 気付かされた」と 濱野氏は話す。
ブログを読んだ 技術者の中には、国が 秘密鍵をバックアップしているのではないか という 懸念を持った人が 少なからずいた。
秘密鍵は カードの中で生成されるので 外には出せない。
技術者が JPKIの 仕組みを 知らなければ、普及は おぼつかない。
濱野氏は「アーリーアダプターが 使うようになって、一般にも 普及する という 流れ も できない」と 指摘する。
例えば、技術者が 普段の認証で使えるように、ブラウザーで 認証に利用できるようにする ことも 一案という。
カードの利用を 普及させるためには、カードの 仕様を 公開して 様々な 技術者や ベンダーが 関わって 幅広い分野で 運用できる 環境が 不可欠だ。
システムトラブルが 相次いだ マイナンバー制度の ITガバナンス の 向上にも 役立つだろう。
さらには、一般の ユーザーから 見て、どんなところに 不安を感じるか を 事前に検討して、対策を 組み込んでおく
「プライバシー影響評価(PIA)」を 行うことも 役立つと 考える。