小池嶺男 君
2016-5-29
横河電機の 同期入社で、心を許す 友人、小池君 が 亡くなって 四十数年になる。
でも、今だに その頃 の 彼と 頭の中で 音楽の 会話を している。
オーディオとクラシック音楽 という 趣味 だけでなく、社会や 小説や 友人のこと など、穏やかに 話ができた。
自作スピーカー で、レコーデッド・テープ の 音楽 を 通して、お互いの 感性が 分かり、影響を 与え合った。
知己 というのだろう、友人の中でも 特別だった。
都立大 夜間部 に 通っていて、中古文 が 専門だった。
私も ここの 数学科を 受けたが、二次試験で 枠の5人に 入ることは 出来なかった。
彼は 入社後 数年で、国家公務員 1種 の 資格を 取って、宇都宮市役所 に 転職した。
会社を 辞めてからも、当時 下宿していた、吉祥寺南口 の 井之頭不動産の 母屋の 二階に 泊まりに やってきた。  市役所で 昼休みに流す 音楽の レコードを買う ということだった。
私も、今市市 小林の 彼の実家 に、車での 芭蕉の 奥の細道 辿り の 途中 泊まった。

彼の 結婚式にも 行き、新居も 訪問したが、まもなく 子供も 無いまま、水難事故で 亡くなった。
数年してから、墓参りに 行ったが、彼が 使っていた 部屋 は そのままで、涙が 溢れて、 残された 彼の お母さんに 喉につまって 声が 掛けられなかった。
形見に 貰った、ボロボロの 岩波の英語辞書 は、紙に包まれて 私の 本棚にある。
彼から 譲ってもらった シューベルトの 海外 レコーデッド・テープ も 本棚にある。
他にも 思い出は 沢山あるが、彼の 大学の 学友とは、四十数年後 の 現在でも、年賀状の やり取りを している。  彼の 後ろに 小池君がいる、有難い と 思う。