一昨日は、南九州に伝わる 海幸山幸 伝説に 絡んだ 川辺の 飯倉神社 に 行ってきました。 ここは 川辺郷 の 総鎮守 で、創設は 非常に 古く、和銅年間 と されています。 一説には、当初 開聞岳一帯 に 鎮座していたが、和銅年間に 現在の 地に 遷座されたとも 伝えられています。 その規模 も 極めて 宏大 ( 神領千石 ) で、多数の 崇敬者を 擁する 大社であった 記録が あります。 祭主は 世々 勝目家であったが、天正の 頃から、勝目家に 子孫がなく 高良家 が 神職を 勤めてきました。 興味深い 伝承、豊玉姫神社 由緒、が あります : 海神 綿津見神には 二人の 娘が あり、姉の 豊玉姫を 川辺に、妹の 玉依姫を 知覧に 封じよう とした。 姉妹 は、衣の郡 (開聞) を 出発し、鬢水峠、御化粧水、飯野、宮入松 を 経て、取違 に 泊ることになる。 この地で、玉依姫 は 川辺が 水田に富む ことを 聞き、急ぎ 米を 玄米のまま 炊いて 川辺へ 出発された。 常のように 白米を炊いた 豊玉姫 は 遅れてしまい、やむなく 知覧へ 向かい、宮居を 定めたという。 神武天皇 といえば、和銅 より 数百年 前、海幸山幸 伝説 は 更に 古く、紀元前 二百年 頃 のことになる。 漁労 から 水田稲作 への 就業変化 が 関係しているかも 知れない。 |
|